
世の中には天才と呼ばれる人たちがいる。
努力や環境、教育でもし仮に天才を生み出すことができるとしたら、誰かがきっと既に本に出しているだろう。
けれど、僕はいまだに天才になる方法を知らない。
むしろ、そんな方法があるのかさえ分からない。
「天才」とは、天から与えられた才能だと僕は思っていて、そういう意味においては誰もが既に何かしらの才能を天から与えられていることになる。
なので、会う人会う人、全てが天才だと思っている。
自分にはない才能を持っている、という視点で他人と接すると、目の前の人からも多くのことを学ぶこともできる。
多くの人は、自分と他人とを比較しては、それを落ち込む材料にしてしまうことがよくある。
あの子は、私よりも可愛いから・・・
比較なんて不幸になる元にしかならないし、そもそも、他人と自分を比較する必要性はどこにもない。
上を見たらキリがない。
比較することから劣等感やコンプレックス、または他人を羨む気持ちや嫉妬心なども生まれる。
才能が高すぎると、人はそれを妬む方向に進む。
僕も、他人と自分とをよく比較していた。
あの人は僕よりもカッコいい。
運動もできる。
勉強もできる。
それに比べ自分は・・・という具合だ。
悲劇のヒロインを演じて許されるのは、可愛い可愛いシンデレラだけの特権だ。
シンデレラは、白馬の王子さまと結ばれたが、それはシンデレラが悲劇のヒロインだったからではない。
ここを読み間違えると、途端に人生に悲劇が訪れる。
シンデレラのストーリーで、白馬の王子さまと結ばれた本当の理由は、シンデレラが美しかったから。
ちなみに、現実的な話をすれば一目惚れで結ばれたカップルの離婚率はかなり高い、という話を聞いたことがある。
外見を重視する生き物が、僕らだが、外見だけで長続きするほど人間関係というのは生易しくはない、という教訓だろう。
自分には才能がない、と落ち込むのは、全て他人との比較から生まれるもの。
だから、他人と自分を比較することをやめてしまえばいい。
「こんな自分なんて、生きる資格がありません」
本気でそう思っている人もいるが、そもそも生きるために資格など必要ないんだ。
国家試験にでも出るのかい?って。
生きるために必要なものは、明るさとか、優しさとかだ。
才能やスキルよりも、目の前に親切にできる人の方が、はるかに人生はうまくいく。
敵を作るより、味方を増やす方が、人生は楽しくなる。
スキルをいくら磨いたところで、それを誰かのために役立てることができなければ、全くの才能の無駄遣いだ。
なので、僕は才能溢れる人よりは、明るくて、優しい人が好きだ。
天才になることを目指すよりも、今与えられた環境の中でどう幸せに生きていくか?
そこを考えて行動していくのが凡人の生きるための戦略じゃないかと思う。
ちなみに、僕は「徳」という概念を持っている。
これは、いいことをしたらポイントが貯まる、という考え方。
いいことの判断基準は、他人からの感謝の言葉だ。
つまり、他人から「ありがとう」と言われたら、僕にポイントが貯まるイメージだ。
そんなことをして、一体何になるんだ?と思う人もいる。
やって見たら分かる。
誰かに感謝されるって、すごく快感だということに。
自分から感謝するのって、結構難易度が低いから、割とすぐにでも実践できる。
けど、他人さまから感謝される、となると、途端に難易度はアップする。
だからこそ、楽しい。
この人に感謝される、または喜んでもらうためには、どうしたらいいだろう?
その思考が、自分の人生に豊かさを与えてくれる。
良かれと思っていたのに、怒られることも時にはあるし、世の中には親切にしても、全くお礼すらしない人もいる。
例えば、車を運転中に道を先に譲ったとする。
中には会釈してお礼してくれるドライバーもいるが、当たり前のように感謝しない人もいる。
この時に大事なのは、感謝されることを期待しないことだ。
人間関係において、僕が決めてるルールが2つある。
1つは相手に期待しないこと。
もうひとつは、相手を変えようとしないこと。
相手に期待するから、お礼がないことに対してイライラしてしまうのであって、期待を最初からしなければ問題はない。
ただし、仮に天に神様がいるとして、どっちの行為が評価されるんだろう?
神様は、どっちの人間を味方するんだろう?
そういう発想を時に僕はすることがある。
すると、やっぱり道を譲ってもらったら、しっかりお礼したいなと思う。
会釈するだけなら、わずか3秒もかからない。
この3秒で、たった3秒で自分の運命が決まる、こともあるんじゃないかと。
何かわからないけれど、見えない力に守られていると感じることがあるが、それはきっと、こういうことの積み重ねの結果なのかもしれない。
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