努力するから報われない

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嫌われる勇気という本があるが、僕は諦める勇気も大事じゃないかと思っている。

なんでもかんでも頑張れば報われる世界ではないし、頑張った結果病気になって早死にする人だっている。

 
なぜ、人はこれほど頑張るのか?

僕には疑問だった。

頑張った先にご褒美があるからなのか?

では、頑張らずにご褒美をもらうのは悪いことなのか?

 
「努力すれば報われる」

この言葉は、一見正しいことを言っているように思う。

けれど、努力しても報われないことだって、たくさんある。

 
毎日続ければ、いつか報われる日が来ると信じて、努力する姿に僕は惹かれない。

それよりも、今日は何して遊ぼうかな?とか、楽しさメインに行動する人の方に惹かれる。

 
きっと、僕には努力に対するネガティブなイメージがあるからだと思う。

努力には、どことなく義務感といったイメージが付き纏う。

義務感とは、本当は嫌なことなんだけど、仕方なくやらされている感じのこと。

 
社会に出たら、そんな大人ばかりだ。

いや、学生にもいる。

 
義務感で仕方なくやってる奴は、楽しくて楽しくて好きでやっている人の足元にも及ばない。

 
僕はゲームが好きで、結構ゲームをするのだが、これも好きでやっている。

8時間やっても苦痛ではない。

楽しい、という感情があるからこそ、続けるモチベーションが生まれる。

 
モチベーションが上がらないことは、対して自分が好きではないことだ。

好きなことをするのに、モチベーションなんて不要だから。

なので、モチベーション云々いってる自分に気づいたら、おそらく頑張ってしまってる。

 
本当は好きなことではない。
けれど、仕方なくやらざるを得ない、という状況。

 
仕事は嫌いだけど、生活のためにお金を稼がなくてはいけない、という先入観を抱く大人のように。

 
努力した先の世界が、必ず報われるものじゃないのだから、無理だなと思ったら辞めるのも1つの生き方だ。

継続は力なり、と小さい頃から教えてもらったが、継続した先に自分の幸福がないとしたら、とっとと諦めてしまうのもありだ。

 
諦めるのなんてカッコ悪いとか、思うかもしれないが、世間の評価を気にするあまり、やりたくないことを無理に頑張り続けて不機嫌に生きる方がよっぽどカッコ悪いと僕は思う。

同じ努力をするなら、僕は自分で自分の機嫌を取れる人になることに努力を続けていきたい。

 
明らかに機嫌のいい人には需要があるし、単純に一緒にいて心地いいからだ。

 
努力することに疲れたら、それはそろそろ辞めてもいいんじゃないか?

そう自分に言い聞かせてみる。

 
楽しいことに対して、人は努力を努力とも思わないもの。

麻雀が好きな人は、たとえ徹夜してでも続ける。

そこに本人は努力してる意識など1ミリもない。

 
努力してると思った時点で、それは遅かれ早かれ、自分には向いていないことなのかもしれない。

そう思うことが大事じゃないかと思う。

 
努力して続ける勇気より、努力していることを手放す勇気、そして諦める勇気。

諦める勇気があると、自分は今までなぜこんなものに固執していたのか?と、自分で自分がバカに思えて来る。

 
諦めることは悪いことじゃなく、方向転換するきっかけになるから、むしろチャンスに繋がる。

 
もっと別の生き方があることを知るためにも、諦めることは大事だったりする。

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のりゆきのプロフィール

パニック障害持ちの意識高い系パパ。嫌いなものは机上の空論。好きなものは女性。ビビリで人見知りなピュアな心を持つ小心者です。

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