
こんにちは。
ゲームに熱中するあまり腱鞘炎になりかけている、のりゆきです。
※過ぎたるは猶及ばざるが如し。
さて、今日は「日常生活をネタにすればネタには困らない」というテーマでお話したいと思います。
現在、何かしらのビジネスをされている方や、ブログのネタが思い付かずに10円ハゲになりかけている方に役立つ内容です。
タイトル通り、ネタには困らない。なぜなら日常生活をネタにすればいいから、と結論を言っちゃっているのですが、まさにネタって日常生活の中にゴロゴロと転がっています。
ネタは、日常生活から仕入れたらいいという発想を持つと、時間がなくてインプットできない!という問題は解決されます。
僕がこれから話す内容は、日常生活の中から、どうにかしてインプットする時間を作り出すノウハウではなく、読んで字の如く、日常生活を丸ごとネタにしてしまう方法です。
もちろん、インプットする時間がある方は継続してインプットしたらいいと思います。
ただし、世の中、そんな暇な人ばかりではないと思いますし、忙しくてネタ作りに四苦八苦している方も多いと思います。
結構多く寄せられる質問の1つが「ネタがない」というもの。
最近、ブログの更新頻度が落ちたなぁと思っていたら、いつの間にかサイトが閉鎖されていた、なんてブログは山ほどあります。
原因はネタ切れ以外にも、モチベーションが低下したなどの理由もあるかと思いますが、基本的にネタは仕入れない限りはいずれ尽きるもの、という先入観を誰しも持っています。
以前の僕も、ネタを仕入れるためにはインプットする必要があると思い、そのための時間を確保していました。
ですが、ある時ふと気づいたんです。
インプットをする時間をわざわざ設けなくても、日常生活そのものが既にインプットなのでは?と。
それ以降、僕はネタが尽きてしまう、という問題からは無縁になりました。
では、ここで僕が普段、どのようにネタ作りをしているのか?
お話ししていきたいと思います。
まず、前提として締切日を設けます。
基本的に、僕は自分のことを信じていないので、いついつまでにこれをやる、という期日を設けるんですね。
夏休みの宿題や会社の資料など、この日までに提出してください、というものがあったかと思います。
人って、そう言った外部からの強制力がないと、本当に怠けてしまうものなんです。
特に僕にはその傾向が強くて、期日がないと、ずっとゲームばかりしている廃人になってしまう自信があります。
期日を設けることで、この日までには何としてもコンテンツを作らなきゃ!というプレッシャーが生まれるんですね。
サボりぐせのある僕は、期日ギリギリまで遊んでしまうことが多いのですが、期日間近になると流石に焦り出します。
今まで遊んでしまった罪悪感もプラスされて、謎のやる気がみなぎってきます。
なので、まずは期日を設けることが前提です。
それで、普段からある程度のインプットはしているのですが、僕の中では最低限のインプットで最大限のアウトプットをする、という自己ルールがあるんですね。
これはどういうことか?と言うと、例えば本を1ページ読んだら1つの記事を作成するとかです。
また、テレビドラマを観たら、メモ帳に感想を書いたりもしています。
インプットって、何も難しく考える必要はなくて、要は自分の体験したことが全てインプットになる、という発想でいいんですよ。
普段の生活の中から、これはネタにできないだろうか?という視点を常に持っていて、特に失敗したことなどは包み隠さずに公開するようにしています。
失敗したってことは、言葉を変えたら挑戦した、ということでもあるので、そこには少なからず気づきや教訓が含まれています。
本を1冊読んだからと言っても、じゃあ、その読んだ内容を覚えているのか?と言われたら、僕の場合9割は忘れている自信があります。
1章から読んでいた場合、2章に入ったら、1章の内容はおそらく忘れています。
なので、がっつりインプットだけの時間をわざわざ作ることって、あまり意味がないような気がしています。
それだったら、最低限のインプットでもいいから、学んで得たことをブログにアウトプットするとか、人に話すとか、自分が実践した結果などを伝えた方がいいと思っています。
もちろん、趣味の読書であれば気にする事なく、思う存分楽しんだらいいと思いますけど。
インプットしたことは、すぐにアウトプットする、というのもポイントでして、それは人間はすぐに忘れる生き物だから、という理由です。
あとは、日常生活全てがネタであると思うことで、何気ない毎日の日常生活が学びの材料に変化します。
例えば、ゲームをしている時。
RPGって、主人公が成長していくことで、徐々に物語の難易度が下がっていくのですが、これって人生でも同じだよなぁ〜と思うことがあります。
そしたら、これをネタにするか、という発想です。
最初は、僕はスライムを倒すことにも苦労した。
けれど、繰り返しスライムを倒していたら、いつの間にかレベルアップしていた。
そしたら、以前倒すのに苦労したスライムを1撃で倒すことができた、という体験をしたとします。
これって、ゲームをやっていたら誰もが1度は経験するのですが、これをネタにできないか?という発想をするのです。
「これをネタにできないか?」という発想が、脳をアウトプットモードにしてくれます。
アウトプットモードとは、受動的な自分ではなく、主体的な自分になる、ということ。
同じ体験をしていても、ネタにできないか?という発想を持っているだけで、インプットの量や質も飛躍的に向上します。
仮に、ネタにできないか?という発想がない状態だと、目の前に出現したスライムをボタンを連打して倒して、レベルが上がって嬉しい、で完結です。
普段の僕らって、受動的な自分で生きているんです。
それは、自分の経験をネタにする、という発想がないからなんですが、受動的な自分で生きると省エネなので、とても楽なんですよ。
人間できる限り、自分で考えたくないし、動きたくないわけです。
疲れることはしたくないし、面倒臭いことは極力したくないと思うのは、省エネで生きたいという本能でもあります。
ただし、省エネで生きれば生きるほど、どんどん人間は退化の方向へ進んでいきます。
省エネで生きると、外出するのも面倒になるし、人と会うのも億劫になるし、食べるのも面倒だと思うようになるし、筋肉も低下して動くことすら困難な状態になっていきます。
なので、人は自由になりすぎてしまうと、成長どころか退化の方へ進んでしまう、という皮肉な話です。
では、脳をアウトプットモードにすることで、日常生活がどう変わっていくのか?
ここでは、またゲームの話を題材にしますが、別にゲームに限った話ではないので、ご自身の置かれている立場によって応用していただけたらと思います。
僕は、ゲームしながらただスライムを倒すというシンプルな過程の中から、成長することでゲームの難易度は下がっていくんだな、と感じて、そう言えばこれは、ゲームの中だけの話じゃなくて、人生全般にも共通して言えるんじゃないか?と思ったわけです。
例えば、新入社員の頃って、右も左も分からない状態で、必死に仕事をメモしながら覚えていったと思うのですが、数ヶ月もしたら、メモを見ることもなくなっていきます。
さらに数年が経過した頃には、スキルも上達して何も考えずに働くことができるようになります。
(一部の特殊な仕事は除きます)
つまり、どんどん働くことが楽になっていくのです。
それは、成長した証でもあり、RPGと同じで仕事の難易度が下がった証拠でもあります。
難易度が高いというのは、今の自分のレベルでは戦えないという状態だから、それなら難易度を下げたらいいわけです。
そして、難易度を下げるには、自分が成長したらいいのです。
じゃあ、成長するにはどうすればいいのか?
ゲームだと、同じ敵ばかり倒し続けてもそれほど強くはならないように、同じ環境ばかりでは人は成長できないってことです。
つまり、成長するには環境を変えたらいいってことになります。
最初の村に留まってスライムをずっと倒す生活を続けていても、なかなかレベルは上がりません。
レベルをあげようと思ったら、今いる村から出ていく必要があるんです。
そしたら、まだ見たことの無い新たな敵に遭遇するかもしれませんが、それが刺激となってまた自分を成長させてくれるのです。
いつもと同じことばかりするのではなく、違う何かをしてみる、これを挑戦と呼びます。
挑戦した結果、いつも以上の経験値を取得することができるのです。
では、これを職場で応用するとどうなるか?
例えば、いつも同じ人としかお昼を食べないとしたら、今日はいつもと違う人とお昼を食べるとか。
同じお店しか行かない、というのであれば1度も行った事のないお店に行くとか。
いつも、挨拶されてから挨拶していたなら、今度は自分の方から先に挨拶をするとか。
受付にいる女性が可愛いなぁ〜とただ眺めていたのを、食事に誘ってみるとか。
分からないことがあれば、すぐに誰かに聞いていたなら、まずは自分で徹底的に調べてみるとか。
これらも、挑戦です。
小さな挑戦かもしれませんが、それでもいつもと違うことをしているので、いつも以上の大きな経験値が貯まるわけです。
大きな経験値が貯まる、というのはすなわちそれだけ早く成長するってことでもありますから。
人生の難易度も急速に下がって行くわけです。
と、まあこんな感じでゲームを題材に話を展開していくこともできるわけです。
同じことを経験しても、そこから得られる気づきや解釈って無限にあります。
生きていること自体がインプットになっているんです。
重要なのは、これってネタにできないか?という視点。
それがなければ、ゲームはただの趣味の領域ですし、あ〜楽しかったなぁ〜で何も得られる気づきもなければ、考えることもありません。
同じテレビのバラエティ番組を見ていたとしても、ネタにできないか?という発想があると、様々な疑問が浮かんでくるはずです。
最近、いつもこの人見るなぁ〜と思ったら、検索して調べてみるとか。
なぜ、この芸能人は人気があるのか?考えてみるとか。
最近のファッションの流行を知ることで街中の人を観察してみるとか。
そういう日常生活で感じる小さな疑問こそ、まさにネタの宝庫でありコンテンツの要素となるものなんです。
なので、僕は疑問を疑問で終わらせることはしないし、疑問のまま終わらせてしまえば1つのコンテンツを失うことに等しいわけです。
日常生活をネタにしてしまえばいい、という発想があると、とても情報発信が楽になります。
楽になるというのは、わざわざ情報発信するためにインプットをしなければならない、というプレッシャーから解放される、という意味です。
例えば、失敗経験なんてまさにネタ中のネタですよ。
上司に怒られた経験や、受験に落ちた経験、恋人に振られてしまった経験。
不幸だと感じて落ち込んでしまうようなことも、見方を変えたらネタとして提供できるんですね。
なぜなら、自分と同じことで悩んでいる人は世の中に一定数いるからです。
普通では嫌な経験したなぁ〜ついてないなぁ〜と思うことさえ、ネタにすることで救われる誰かがいるかもしれない。
誰かの心を明るくしてあげたり、心を軽くしてあげることができたら、それは立派な人助けだと僕は思っています。
ということで、今後も僕は日常生活から得た気づきなどを自分の体験や経験を通じて発信していけたらと思います。
それでは、今日はこの辺で。
ありがとうございました。
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