彼女たちの本音

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こんにちは、のりゆきです。

今回は、僕の過去の話(物語)を語っていきたいと思います。

 
人は年齢を重ねるに連れて、過去を美化する傾向が強いと言われていますが、
僕の場合に限って言えば、過去は恥ずかしさの連続であり、自慢できる武勇伝もありません。

ただ、行動の回数と試行錯誤、そして改善は繰り返してきたので、
そこから得られた気づきや教訓はたくさんあります。

 
なので、そんな過去の僕の気づきや教訓が、
地球上の誰かに届いたらいいなぁと思い、こうしてブログを書いております。

 
遡ること、10年以上前の話です。

 
僕は、元々人と会話することが苦手でした。

苦手、というよりも、目の前の人と何を話せばいいのか?
本気で悩んでいました。

何を話したらいいのか考えている間に、沈黙の時間だけが過ぎてしまい、
そこには、ぎこちない重く暗いどんよりした空気が漂います。

 
当時の僕は、相手の顔色を伺うばかりに、
自分が発言したことで、相手にどう思われるのかばかり気にして、
結局は、「何も言わない」という無難な答えを選んでいたんです。

つまり、根本にあったのは、
「相手から嫌われることへの恐れ」でした。

 
当時の僕は、女性とまともに会話もしたことがない、
いわゆる、漫画で出てくるようなキモいキャラでした。

女性から話しかけられると、
緊張するあまり声が出ないんですね。

そして、お決まりの無言を決める、という
その後の発展が1ミリもないような絶望的な行動を選択していました。

 
ですが、本音では女性と楽しそうに会話できる男性の姿を見ていて、
心底羨ましいなぁという気持ちがありました。

できれば、僕も楽しく女性と会話したい・・・

けれど、自分には自信のカケラもなかったので、
自分から話しかけるなんて夢物語でした。

 
女性から話しかけられたら、まるで宝くじに当選したくらいの気持ちでしたが、
せっかくのチャンスも台無しにしてしまう自分が、どうしても好きにはなれませんでした。

「自分から話かけて無視されたらどうしよう・・・」
「つまらないと思われたらどうしよう・・・」
「気持ち悪いと思われたらどうしよう・・・」

常に相手の顔色伺う僕の心は、恐れや不安との戦いでした。

 
ちなみに、当時の僕に今の僕がアドバイスできることがあるとすれば、
「どうしよう」の次は「こうしよう」です。

つまり、「どうしよう」と悩むだけでは全く意味がない、ということ。

人は行動しない限り今の自分を帰ることなどできません。

 
それを打開するには、
「どうしよう」とひたすら悩み続けても前に進みません。

「どうしよう」と悩むこと自体は問題ないのですが、
悩むだけでそこに止まってしまうことが問題なんですね。

なので、「どうしよう」と思ったのであれば、次に考えるべきことは「こうしよう」なんですね。

 
自分から話しかけたら無視されるかもしれない・・・

だからと言って、じゃあ無視されるのが怖いから話しかけるのは辞めておこう、と考えている限り、
永遠に同じ悩みから解放されることはないんですよ。

怖いとか、不安とか、人によって多少の違いはありますが、
それは感情がある人間なら当然のこと。

 
そこで、僕が考えて実践したことは、
「自分から挨拶をする」でした。

挨拶なら自然だし、相手だってよほどのことがない限り無視はできない、と思ったからです。

初めて、自分から挨拶をするのはものすごく勇気が必要だったのですが、
いざ、挨拶をしてみたら、相手も自然に「おはよう」と挨拶を返してくれたんですね。

 
え?私に挨拶しているんだよね?という驚きというよりも戸惑いの表情はありましたが、
きちんと挨拶はできた、と。

普通の人なら当たり前にできることですが、
僕にとっては大きな大きな一歩でした。

 
自分から女性に挨拶することができた、という妙な達成感がありました。

 
ちなみに、余談ではありますが、
人は慣れる生き物なので、
繰り返すことでそれは自然とこなせるようになります。

女性との会話ができずに悩む、過去の僕と同じ悩みを持っている男性もいると思いますが、
これも繰り返し、女性と会話を繰り返すことで慣れていくんですね。

もちろん、最初はぎこちないですよ。

 
ですがそれは不慣れ、というだけの話で、
最初からうまくいくことなんて、天才でない限り不可能です。

 
僕も、自分から女性に挨拶はできるようになったものの、
そこから先の会話が続かないことが次の課題でしたから。

ここでやっぱり自分は無理だな、どうせ自分にはできないな、と諦めてしまうことは簡単でしたが、
逃げて逃げて逃げてきた結果が、今の自分なんだよなぁと気づき、その延長線上には今の自分と変わらない、未来の自分がいました。

逃げることはいつでもできるけど、
ここで逃げてしまえば、また元どおりになってしまう・・・

 
そう思い、僕は次に出てきた課題(問題)をどうすればクリアできるのか?

時には自分の頭で考え、時にはモテる人を観察し、
時には本屋で恋愛本を読み漁る生活を繰り返しました。

すると、自分の中でこうしたらうまくいくかも!?
という仮説が生まれるんですね。

 
そしたら、次はその生まれた仮説を検証(実践)していけば自ずと結果は現れてきます。

 
最初の頃は、ひどいもんでした。

挨拶ができるようになったけれど、
その後の話題に困った僕は、天気いいねぇ〜とか、
今日は英語があるねぇ〜とか、

あ、はい・・・としか返答できないようなことばかり、
それも一方的に言うだけでしたので。

 
事実を単に言うだけでは、ニュースと同じです。

「で?なに?」

というのが、相手の率直な意見でしょう。

 
そこで、次に僕は相手への質問をすることにしたんですね。

イエスorノーでは会話がそれ以上続かないので、
じゃあ、相手へ何かしらの質問をすればいいんじゃないか?と考えたわけです。

 
挨拶からの流れで何を質問すればいいのか?

初めの頃は、本当に恥ずかしい限りなのですが
まるで初対面の合コンですか?というような内容の質問ばかりでした。

例えば、好きな食べ物はなんですか?
休みの日は何しているんですか?
趣味はなんですか?

 
全て自分目線なんです、これ。

1ミリの興味関心もない男からそんな質問されても、
「それ聞いてどうするの?」と思われるだけですが、
僕は、ただ会話が続けばそれでいいと思っていたんですね。

 
会話だって、退屈な会話もあれば、
もっとこの人と一緒に話したい、という会話があるのですが、
当時の僕は間違いなく前者でした。

質問をすれば、それに対する返答は一応返ってはくるのですが、
「何、こいつ!?キモいんですけどぉぉぉ」という心の声が聞こえてくるようでした。

 
質問には横展開の質問と、縦展開の質問があるのですが、
僕の質問は全てが横展開の質問ばかりだったんですね。

横展開の質問とは、例えばこんなイメージです。

「〇〇さん、好きな食べ物はなんですか?」
「好きな音楽ありますか?」
「休みは何して過ごしているんですか?」
「得意なことってありますか?」
「趣味を教えてください。」

一問一答式にシャワーのように次から次へと出てくる質問に対して、
答えなくてはいけない、というのはある種の拷問に近いものがあります。

 
そもそも、なんで私がお前の質問に答えなきゃなんないわけ?
こっちは忙しいんですけど!

というのが、彼女たちの本音なんです。

 
質問には、意味があるはずです。

相手と距離を近づける(仲良くなる)ことが目的ならば、
横展開の質問ではなく、縦展開の質問の方がいい、と知ったのは、
さらにずっと後のこと・・・

 
初めの頃は、そんなことも知らずに間違った方向で頑張っていたわけですが、
どうもうまくいかないなぁ、これはおかしいぞ!と気づき、ようやく改善した経緯があります。
(早く気づけ!)

ちなみに、縦展開の質問とは、
例えばこんなイメージ。

〇〇さん、好きなテレビ番組ってあるの?
ああ!それ!昨日やっていたやつだよね?
面白かったよね〜
ところで、なんでその番組が好きなの?
何かきっかけがあったの?
そうなんだぁ〜。そんな過去があったんだ〜
以下、続く・・・

1つの質問に対して、それを奥に奥に深く掘り続ける感じですね。

これも、使い方を間違えると、
すごく嫌な奴になりかねないので、勉強する必要はあるのですが・・・

 
と、こんな感じで、僕は苦手だった会話が少しずつ少しずつ、
得意とまではいきませんが、自然にこなせるようになりました。

そこにたどり着くまでには、
多くの失敗も経験したし、恥ずかしい思いもしてきました。

 
ただ、これって会話に限った話じゃなくて、
例えば、勉強にしろ、スポーツにしろ、仕事にしろ、
全てに共通して言えることだと思います。

最初から一輪車に乗れる人っていないと思うんです。
(稀にスイスイ乗れる人もいる)
(きっと前世一輪車に乗っていたプロ)

転んではまた立ち上がって、そして挑戦していく。

 
この繰り返しで、最初は転んでばかりだって一輪車でさえも、
スイスイ乗りこなせるまでに成長していくんですね。

 
つまり、僕が何を伝えたいのか?というと、
「成長する過程」は人の魅力が溢れる瞬間でもあるってことです。

転んでやっぱり自分には無理だから、お家に帰ろ〜という選択肢もあるわけですが、
それを続けている限り、一輪車には乗れないんです。

いくら一輪車が上手に乗れるためのテクニックを読んでも、
いくら一輪車が上手に乗れる動画集を見ても、
実際に一輪車に乗る、という実践がなければ上達することはないんですね。

 
だから、「答え」を知っていることには価値がないんです。

知っているならば、なぜそれをやらないんだ!?というのが、
大人の世界なんです。

答えを知っているからできる、のではなくて、
答えを知っているけれども、できないのが僕らなんですね。

 
正解をドヤ顔で語る時間は、残念ながらなんの生産性も生み出さないんです。

行動すれば、痛い思いをすることもあるでしょうし、
怪我することや、恥ずかしい体験もします。

 
ただ、死ななきゃいいじゃん!

と、今の僕は本気で思っています。

 
まさに、死ぬこと以外はかすり傷なわけです。

 
それを、女の子から笑われるとか、
相手に嫌われるとか、
そんなことばかり気にしている間にも、一刻と寿命は少なくなっていくんです。

 
「そのままでいいの?お前?」 

僕は、くじけそうになった時や、やっぱり無理だ、と諦めそうになった時は、
マントラのように、この言葉をなんども自分に言い聞かせてきました。

死ぬときに後悔しても遅いんです。

 
であれば、生きている今、この瞬間に決断しなければいけない。

どうすれば自分は後悔のない選択をすることができるのか?を。

 
難しいことじゃないんです。
自分の心の声に従えば、自ずと道は拓けてきます。

その道には、たくさんの障害物が存在するけれど、
自分の心の声に従って進んだ道は、いずれ素敵な思い出になります。

ですが、自分の心の声を無視して世間体を気にしたら、
やっぱり、あっちの道をいけばよかった、と死ぬ間際に後悔することになります。

 
ということで、僕はできない言い訳をするくらいなら、
できるための理由を考えて、実践していく道を選ぼうと思います。

 
それでは、今日はこの辺で。
ありがとうございました。

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管理人 のりゆき

まずはこちらを読んでいただければと思います。
なぜ僕がブログを書くのか?

 

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