自意識過剰だった僕が手放したもの

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こんにちは、のりゆきです。

今日は「自意識過剰だった僕が手放したもの」というテーマで、
お話ししていきたいと思います。

 
僕は、パニック障害を抱えているのですが、
そのおかげで、若い頃からおじいちゃん並みに健康に関心を持つようになりました。

普通は、年齢を重ねて若い頃は当たり前にできていたことが、
できなくなった頃に、心身の衰えを痛感して、健康に関心を持つようになると思うのですが、
「心」に病気を抱えた僕は、幸か不幸か高校生から健康に関心を持つようになったんですね。

 
「病」というのは医者に治せないと難病指定されるのですが、
それは、あくまで現代医療においては具体的な治療法が確立されていない、という意味です。

まあ、そんなことを言ったら、
風邪だって、風邪そのものを治す特効薬は未だに存在していません。

風邪薬を飲めば風邪が治ると思っている方もいますが、
治すわけじゃなく、症状を緩和するだけであって、
風邪のウイルスそのものをダイレクトにやっつけるわけではないんですね。

 
治すのは、自分です。
もっと言えば、自身の持つ免疫力。

自然治癒力こそが、癒す原動力になるわけです。

 
なので、普段からこの自然治癒力を最大限に発揮できる環境を整えておく事が、
健康を維持、もしくは増進させるためのキーポイントとなります。

 
本来、身体は病気になると元の健康な状態に戻ろうと、
24時間頑張っています。

ですが、そこに何かしらのトラブルがあると、正常に機能しなくなります。

何かしらのトラブルの主な要因として挙げられるのは、
悪い習慣です。

 
例えば、タバコを吸うと肺が真っ黒になるのは、
小学生の頃、誰もが教えてもらうのですが、
どういうわけか、体に害があると知っていながらもタバコを吸ってしまうわけです。

わかっちゃいるけど、やめられない、というやつです。

 
僕はこの現状を「カッパえびせん症候群」と名付けています。

 
1本だけ、と思って吸い始めたら、
手が止まらなくなって、辞められない止まらない、という現象がおきるんですね。

そして、気づけば1箱丸々消費していた、という現象です。

 
この世には、先天的な病気もあるのですが、
後天的に病気になる人の方が、圧倒的に多く、
今の時代は2人に1人ががんで亡くなる時代です。

「そんなの関係ねぇ!」などと他人事のように考えていた人も、
歳を取れば取るほど、「もしかしたら自分もガンになるかも?」という恐怖に変わっていきます。

なぜなら、自分と同じ年齢の人が身近で次々と、病気になる姿を嫌でも見るからです。

 
ただ、僕が感じることは、
恐怖で震えるあまり、今の生活を楽しめなくなるのは本末転倒だと思っています。

恐怖で震える、というのは、
いつか自分もガンになるのでは?と悲観的な想像をしてはビクビク過ごすことです。

 
恐怖は未来から希望を奪いますし、
現在から明るさを奪います。

希望と明るさを失った人は、
まるで蝉の抜け殻のように、魂が抜けて行くんです。

「どうせ死ぬんだから、人って生きている意味ないよね?」という、
ある種の哲学的な思考になって、ネガティブモードに突入していきます。

 
なぜ、そんなことがわかるんだっ!と言われれば、
全てこれらは、僕の実体験に基づいているからです。

全く、根拠なく適当に言っているわけではないんです。

 
 
それで、話を戻しますね。

「心」に病気を抱えた僕が、まず考えたことは、
自分の中の間違いに気づくことからでした。

何かしらの間違いが病気という目に見える形になって現れる。

よく言われる思考は現実化するってやつで、
それは、「病」も例外ではない、と僕は考えました。

 
それから、自分の中の間違いってなんだろう?と考えては、
これじゃないか?というものを見つけ出したんですね。

 
それは・・・何かと言うと・・・

 
「他人の評価を気にし過ぎる」ということでした。

もっと言えば、他人から自分はどう思われているのか?

好かれているのか?
嫌われているのか?

とにかく、他人基準に考える傾向があった僕は、
いちいち、他人の顔色を伺いつつ、自分に対する評価を気にするようになりました。

 
今では、ほとんどないのですが、
以前の僕は、他人の期待に応えるように必死でした。

なぜなら、他人の期待に答える事ができない自分では、嫌われてしまう、という「恐れ」があったからです。

 
必死になればなるほど、僕の心はどんどん消耗していきました。

行動の動機が「恐れ」だった事が、
全ての要因だと気づくまでは、ひたすら他人にどう思われているか?

そんなことばかりが、頭から離れずに46時中過ごしていました。

 
必死になって頑張っている人っていると思うのですが、
そこに、余白や余裕、無駄がないと、人って病気になって苦しんでしまうんです。

「必死」という言葉は、「必ず死ぬ」と書くくらいなので、
物事に必死になればなるほど、なぜか上手くいかず結果も出ません。

必死な人って、余裕がないために、
日常生活から笑顔が消えるんです。

 
笑顔がなく、無表情な人の周りには、
人が近づいてこないので、
どうしても独りよがりの発想になっていくんです。

周囲が見えなくなり、
正解ばかり探し出すようになり、
それ以外は、すべてが時間の無駄と感じるようになってしまう。

 
日常生活から笑顔が消えた時点で、
生き方を見直すサインなのですが、
それを無視してしまうと、過去の僕のように何かしらの「病」を抱えることになります。

僕の場合は、それがたまたま「パニック障害」として
具現化したのですが、具現化したものは日頃の自分の思考を振り返るきっかけにもなるんですね。

 
必死になって頑張らなくてはいけない、と思うのも、
突き詰めていけば、思考自体に問題があるからなんですよ。

 
つまり、病気と思考は密接な関係にある、と。

 
多くの人は、食べ物で体が作られていることを知っています。
ゆえに、食べ物が間違っていれば病気になると考えています。

ファストフードや、外食、コンビニ弁当ばかり食べていると、
身体に良くない、健康に悪い、という情報は知っているんです。

 
けれど、実は思考、つまり考え方によっても、
健康になったり、病気になることがある、ということはあまり知られていません。

 
よく、他人の悪口を言う人いますが、
あれは、毒を周囲に撒き散らしているのと一緒です。

悪口って、袋に圧縮して毒蛇に吹きかけると、
毒を持つ蛇でさえ殺してしまうほどの威力があるんですね。

そういう研究をしている人がいるそうなんです。

 
普通に考えてヤバくないですか?

 
毒を持つ蛇すら殺してしまう力が、
人間の言葉にはあるってことですから!

「言葉は諸刃の剣」とはよく言われることですが、
まさに使い方次第では、人を殺すことも救うこともできます。

 
使い方を間違えてしまえば、
自分でも自覚症状がないまま毒を撒き散らす加害者になっていきます。

悪口言って気持ちがスッキリする!と言う方もいますが、
それは、麻薬のようなもので習慣化していくのです。

一瞬の快楽のために、
その後の自分の貴重な命、と言う時間を失っているわけですから。

 
 
そんなこんなで、
僕は自分の思考に問題があると気づき、
自意識過剰なのはどうしてだろう?と考えるようになりました。

 
そこで得た結論は、
他人からよく思われたい、嫌われたくない!という感情でしたが、

そもそも、なぜ他人からよく思われたいのか?
なぜ、他人から嫌われたくないと思うのか?

突き詰めていけばいくほど、
よくわからなくなっていきました。

 
そして、実は本当は問題ではないんじゃないか?
悩むほどのことではないんじゃないか?

そう感じるようになったんです。

 
悩みとは、悩みを問題として認識するからこそ、
悩みとなるわけです。

つまり、悩みを問題として捉えなければ、
問題を問題と思わなければ、人は悩むことはなくなるんですね。

 
そこで僕は、別に嫌われてもいいか、と思うようになりました。
嫌われても死ぬわけじゃないのだから、と。

好かれるために生きているわけじゃないし、
他人の顔色伺いビクビクしながら生きるのはまさに生き地獄でしかないですから。

 
捉え方は人それぞれなのだから、
いちいち、1人1人に合わせて迎合するよりも、

自分はこれが好き!と堂々と言って、
私も同じです!という人から好かれたら十分じゃないか?と思ったんですね。

 
学生の頃って、
周囲も大体が同じくらいの年齢なので、
似たり寄ったりの価値観になりやすいんです。

それに、そこで浮いてしまうと孤独になってしまうので、
無理して迎合する人もいるくらいです。

 
ただし、僕は経験者だからこそわかる事があります。

 
それは、他人にいくら迎合したところで、
実際は好かれることはない、という事実です。

相手にとって都合のいい人になるだけで、
結果として好かれることもあるのですが、
それは、本当の自分ではありませんから、
必ずその後の付き合いで問題が頻発するようになります。

 
よく、結婚したら相手が別人のように変わった、という人がいますが、
恋愛していた頃は、仮面をかぶっていたのが、結婚を機に仮面が外れたからです。

つまり、好かれようと偽りの自分を演じていたけれど、
結婚したら、その必要性がなくなり、本来の自分に戻っただけなんですね。

 
考え方によっては、それも1つのテクニックなんでしょうが、
本当は仮面を外した状態の自分を好きになってもらった方が、
その後、お互いにとってもいい関係を続ける事ができるんです。

 
世界的な有名人であるお釈迦様ですら、
お釈迦様を敵対視する人がいる、という事実を歴史から学ばなくてはいけませんし、
キリストだって、嫌われていなければ、そもそも磔にされることもなかったんです。

どんなに立派であろうと、
人格者であろうと、
それを嫌うアンチの存在はゼロにはならない。

光あれば影があるように、
好かれる人の背景には嫌う人も存在する。

 
つまり、万人に好かれようと思う行為自体が、
そもそも矛盾した間違った思考なのだと気付きました。

相手に合わせることは優しさでもないし、
相手に迎合して嘘の言葉を投げかけることは、
結果的に相手を傷つけてしまいます。

 
「嫌われても別にいいじゃん」
「それで死ぬことはないのだから」

そう考えるようになってからは、不思議と肩の荷がおりました。

 
その後、色々「心」について勉強していくにつれて、
人の行動の動機には2種類あって、
それが「愛」なのか「恐れ」なのか、ということを知るのですが・・・

それは、また別の機会にお話ししようと思います。

 
日常生活から笑顔が消えたら、
何か自分の思考に問題があるんじゃないか?

もし、あなたが最近笑った記憶がないな、と感じるのであれば、
それは、生活(思考)を見直すサインであり、信号で言えば黄色の要注意の段階です。

 
笑顔のない生活がスタンダードになってしまうと、
どんどん自分の感情にも麻痺してしまうので、

僕は映画を観るなり、漫画を読むなり、自然に触れるなり、本を読むなり、
何かしら笑いの要素を取り入れる習慣を作るようにしました。

 
その習慣に関する話は、またいずれお話ししていきたいと思います。

 
それでは、今日はこの辺で。
ありがとうございました。

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管理人 のりゆき

まずはこちらを読んでいただければと思います。
なぜ僕がブログを書くのか?

 

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