はだしのゲンから学んだ戦争と平和の話

この記事は6分で読めます

Pocket

こんにちは、のりゆきです。

今日は「はだしのゲンから学んだ戦争と平和」というテーマでお話ししていきます。

 
今でこそ、読書の習慣がある僕ですが、
実は、小学生の頃の僕は、ほとんど本を読んでいませんでした。

活字でビッシリページが埋め尽くされた本を、
好き好んで読む人は、まるで異世界の住人だと思っていたほど。

小学生の頃に読んだ本は、絵本とか読書感想文用のための課題図書くらいでした。
(ちなみに、絵本って子供用だと思ってる人多いですが、大人にもおすすめだったりします)

 
そんな僕が、小学生の頃、唯一ハマった本がありました。

学校の図書室に入って、どんな本が置いてあるのだろう?と、
適当に見ていたら、漫画を見つけたんですね。

図書室に置いてあるのは、
活字で埋め尽くされたページの本、というイメージが強かったのですが、
なぜか漫画が置いてあることが不思議で、興味本位で手にとったんですね。

 
それが、「はだしのゲン」との最初の出会いでした。

 
「はだしのゲン」は有名なので、
ご存知の方も多いかと思いますが、
著者の中沢啓治さんが、自身の被曝体験を元に作られた漫画です。

今では、アニメや小説、その他の派生作品もあります。

 
僕は、本当になんとなく手にとっただけだったのですが、
その漫画の中には、信じ難い内容がリアルに、そして残酷に描かれていました。

学校の教科書には書かれていない、
先生からも教えてもらっていないことも、
綺麗事抜きに、鮮明に描かれていたんですね。

 
気づけば、僕はそこから毎日のように、
図書室へ、こもっては時間の許す限り読んでいました。

 
そして、ある日僕は号泣しました。
(図書室にいたクラスメイトにお腹が痛いの?と心配された)

それは、母親が死んでしまうシーンだったのですが、
今まで生きてきた中で、これほど悲しい話があっただろうか?と思ってしまうほどでした。

僕は、主人公のゲンに感情移入しまくっていたので、
机の上に顔をうずめて肩をブルブル震わせながら泣いてしまいました。

 
その他にも、衝撃的な内容はたくさんあるのですが、
1番の衝撃は、これがフィクションではない、という現実です。

実際に、これを体験した人がいる、という現実です。

 
僕の場合は、漫画という入り口だったからこそ、興味を持つことができました。

おそらく、「戦争体験記」というような難しそうな本であれば、
手に取ることもなく、一生知らないまま死んでいたと思います。

 
戦争を体験した世代は、もうかなりの高齢になっており、
語り継ぐものがいなくなれば、やがて戦争は過去の昔話になってしまいます。

本当にそんなことがあったの?と疑ってしまった僕は、
自分の家にいるおばあちゃんに当時の戦争について質問したことがありました。

はだしのゲンを読んでいないおばあちゃんの意見と、
はだしのゲンの内容は見事に一致していたために、さらに僕は恐怖で震えました。

 
そんなおばあちゃんが、何度も何度も何度も僕に話してくれて、
今でも印象に残っている言葉があります。

その言葉は、

「今日を生きたくても生きることができなかった人がいる。
家族の元に帰りたくても国のために命を投げ出した者もいる。
今は平和な世の中だけど、その平和の上には数えきれないくらいの犠牲者がいることを忘れないでほしい」

何の罪もない人が、殺されて行く様は、まさに地獄そのものだったそうです。
 

はだしのゲンを読んだ時、
感動なんて生ぬるいものじゃなくて、
本当に恐怖で震えたことを鮮明に覚えています。

と、同時に平和な今の日本を築いてきた人たちがいることへ、
深い感謝と、毎日の日常生活がどれほど幸福なことかを痛感しました。

 
今の日本では、空から降ってくるのは雨だけですが、
当時は、雨以外にも空から爆弾が降ってくるのが日常です。

その度に防空壕へと避難するわけですが、
途中で死ぬかもしれない、という恐怖は計り知れないものがあるし、
愛する人を失った人々が、物語(はだしのゲン)にはたくさん登場しました。

 
明日を生きようと思い、生きたくても生きることができずに無念の死を遂げた人の上に、
今の平和な日本があることは、絶対に忘れてはいけないことだと感じました。

 
僕がはだしのゲンから学んだことは数多くあるのですが、
その中でも特に印象的だったものは3つあります。

 
1つ目は、絶望の中にも光を見つけることの大切さ

戦争のない平和な時代になっても、
形は違えど、悩み続けるのが僕たち人間です。

そして、生きている限り問題は発生します。

 
時に、絶望を感じて人を信じられなくなり、
もう再起不能だと感じることさえあるのが人生です。

ですが、そんな暗闇の中にあっても、
わずかな光が見えた瞬間、人は希望を持つことができます。

 
暗闇から光に向かう瞬間には、希望が必要なんですね。

 
希望が見えなくなると、周りは全く見えないのですが、
わずかな希望(光)が見えるだけで、人ってエネルギーが湧いてきます。

今の時代、希望を見つける方が難しいなどと言われることもありますが、
歴史を学んだら、そこら中希望だらけだと気づくこともあります。

はだしのゲンを読んだら、
爆弾が降ってこないだけで感謝できるでしょうし、
毎日、ご飯が食べられるってだけでも奇跡の連続です。

 
つまり、僕らは平和が当たり前になっているために、
「感謝」する機会を失ってしまった結果、心が麻痺しているんです。

感謝の反対は、当たり前。

当たり前と思った瞬間に、喧嘩は発生します。

 
旦那さんが家族のためにお金を稼いでくれるのは当たり前じゃないし、
奥さんが家族のためにご飯を用意してくれるのも当たり前じゃないんです。

麻痺した心では、希望の光がたとえ身近に存在していても、
見ることができないんです。

 
大切なこと(人)は失って初めて気づく、なんて言われていますが、
それだって、当たり前がデフォルトになっているからこそで、
感謝の機会を失った結果でもあるんですね。

 
主人公のゲンが、父親から言われた言葉通り強くたくましく生きる決心ができたのも、
希望を常に持ち続けることができたからだと思います。

そして、希望という光は前を向かないと見えてこないという特徴があります。

 
困難という闇は、誰の人生にも形を変えて現れてくるものです。

そんな時、どう乗り越えることができるのか?

僕たちは、悩み苦しみ、答えを探しますが、
そのヒントも、はだしのゲンから学ぶことができると思います。

 
絶望という闇から、どのように希望という光を見つけていったのか?

そこに着目して物語を読んで行くことで、
自分の人生にも十分応用することができると思います。

 
 
2つ目は感謝することの大切さです。

ありきたりな言葉ではあるのですが、
今の僕に、感謝する習慣があるのは間違いなくはだしのゲンのおかげです。

1日の終わりに、手を合わせて感謝する時間を数分間設けているのですが、
その感謝する時間のおかげで、1日の嫌なことや悪いことも全てリセットできるんですね。

 
感謝できるって、そもそも生きているからこそです。

 
忙しい毎日を送っていると、どうしても感謝の時間って失われていきます。

仕事する時間が増えれば増えるほど、心に余裕がなくなっていく人は多く、
何が大切で、何が大切じゃないかを見抜けなくなります。

目先の利益優先になって、
我欲が増大していけばやがて信用も失っていきます。

 
様々な自己啓発書には、
揃いも揃って、「感謝することが大切」と言葉は違っても、
共通言語のように語られているのには、意味があるんです。

知っている人は多くても、
実践できている人は、数少ないのが現状なんです。

 
つまり、知っていることよりも、できることの方が価値がある。

 
なので、365日、感謝を実践する習慣を作ることができれば、
その他大勢との差別化にもなるんですね。

「感謝」と言葉を聞くと、すぐに宗教だとか、怪しいと感じる人もいるようですが、
「感謝」の習慣がない限り、人は幸福になることができない、というのが僕の考えです。

この辺に関しては、長くなりますので、
また後日改めてブログに書いていこうと思います。

 
 
3つ目は、目の前の人を大切にすることです。

僕がはだしのゲンを読んで、今でもよく覚えているシーンがあるのですが、
戦争で亡くなって、人形のように動かなくなった、と。

昨日までは、1人1人楽しそうに笑っていたり、
泣いていたりしていたのが嘘のようだ、と。

 
戦争がないからといっても、
人っていつ死ぬか分からないもので、
今日出会った人が、明日も同じように生きている、なんて保証は本当はどこにもないんです。

目の前にいる人は、明日死ぬかもしれない。

そう思ったら、なぜかとても愛おしく思えてきました。

 
例えば、お母さんと子供が喧嘩したとします。

そんな時、感情的になって、
「お前なんか生まれてこなければよかった!」と、ふと言葉にしてしまったとします。

もちろん、本心ではないにしても、1度口に出してしまったことは戻せません。

 
そして、翌朝、その子供が交通事故に遭って亡くなってしまった、と。

 
きっと、お母さんは自分が言った言葉を死ぬまで後悔し続けるはずです。
本当は好きだったのに、愛していたのに、
何であんな酷いことを言ってしまったのだろう?と。

人って、感情の生き物だからこそ、
感情をコントロールする術を身につける必要があるのですが、
それらは、学校で教えてくれないんです。

 
いつまでも、目の前にいる人が自分の側にいる、なんて保証はどこにもないのに、
僕たちは、しばしばその現実から目を背けてしまう。

そして、当たり前を失って初めて気づくわけです。

 
最終的には、形あるものはみな滅びる、と言われているように、
人も例外なく、死を経験します。

死の形は人それぞれではありますが、

僕はどうせなら、自分と出会って良かったと思ってもらいたい、
そう強く思うようになりました。

 
死の間際に、あいつに会って損したなぁ。
あいつに出会わなければよかったなぁ。

なんて思われるよりも、

あいつに出会えてよかったなぁ。
また会いたいなぁ。

そう思われたいです。

 
そんな思いから、僕は常に出会う人出会う人、
目の前に集中して、その人に自分ができることはなんだろう?と考えるようになりました。

目の前に人がいるのに、
スマホに集中している人がいますが、
それは、スマホの方が大切なんだ、と相手に思われてしまいます。

 
相手を大切にするっていうのは、
しっかり相手と向き合う、という意味なので、
視線が合わなければ意味がないんです。

お母さんが赤ちゃんにおっぱいをあげる時に、
しっかり目を見て授乳すると、赤ちゃんは愛されていると思うように、

僕たちも、相手と向き合う時は相手と目を合わせるからこそ、
コミュニケーションをとることができます。

 
自分は、大切にされているんだ、と相手に思ってもらえる行動を、
日頃、どのくらい実践できているんだろう?

僕は、1日の終わりに振り返るようにしています。

 
人って、大切に思われると嬉しいと感じるものです。

だからこそ、実践する意味があるんじゃないかと思います。

 
感謝の習慣ができると、
心に余白のような空白が生まれて、
それは相手を受け入れる容器の役割もします。

固いものはぶつかったら壊れてしまうけれど、
柔らかいものであれば、衝撃を吸収してくれるように、
心も柔らかく穏やかになれば、無駄な喧嘩や争いなどもなくなっていきます。

 
こうやって、僕がブログを書けるのも、
たくさんの人の犠牲の上に成り立っている、と思うと、
本当に感謝しかなく、ありがたい気持ちしかありません。

感謝って強要されるものじゃなく、
自然と湧き出てくるものなのですが、
そのためには、自分の常識を1度破壊する必要があるんです。

 
その常識を破壊するきっかけとなったのが、
僕にとっては「はだしのゲン」でした。

なので、是非とも読んでいただきたいですし、
そこで感じた気持ちを一生忘れることがないように、
深く胸に刻むべく、感謝の習慣を作っていただけたらと思います。

 
ということで、
今日はこの辺です。

ありがとうございました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

管理人 のりゆき

まずはこちらを読んでいただければと思います。
なぜ僕がブログを書くのか?

 

おすすめ記事

登録されている記事はございません。

記事の編集ページから「おすすめ記事」を複数選択してください。